第一章 ―― 19

 部屋に戻ったルナレイアは、リサにお茶を入れてもらった。

「ルナレイア様、お願いですからどこかに行かれる時は誰かお連れになってください。攫われでもしてしまったら大変です」
「ごめんなさい、リサ。心配をかけてしまって。お城の中だから大丈夫かと思ったの」

 ルナレイアは素直にリサに謝った。シドからも苦言を言われる。

「そうだぞ、城の中とはいえ、危ない。レイもな」
「わかった」

 ルナレイアもレイもしおれた顔をした。

「まあ、次からは気をつければいい。あまり気を落とすな」
「ありがとう」

 そういえば、とシドは切り出した。何か話したいことがあったのだろうか。

「その、こんな時にこんな話をするのもなんだが、ルナレイアはその、慕っている人はいるか?」
「どうしてそんなことを?」

 突然そんなことを聞かれて、ルナレイアは驚いた。

「いや、その、ただの興味本位だ」
「そう? わたくしのことがお好きなのかと思ってしまったわ。ごめんなさいね」

 瞬間、ボッと顔を赤くするシド。

「シドおにーちゃん、お顔まっかだよ。どうかしたの?」
「い、いや、これはなんでもない。気にしないでくれ」

 ぶんぶんと頭をふって否定する。そんなシドがかわいいと、ルナレイアは思ってしまった。

「からかってごめんなさい。今わたくしがお慕いしている人はいないわ」
「そ、そうか。それならよかった。すまないな、突然こんなことを聞いて」
「初めてシドが赤くなる顔を見たわ。だから許してあげる」

 ふふふ、と微笑むルナレイア。小悪魔のそれのようだ。だが、ルナレイアも少し赤くなっている。

「そういえばルナレイアは、元の世界に帰りたいとは思わないのか?」
「……思わないといえば、嘘になるわ。前の世界の勇者さまは本当に好きだったし、お父さまもお母さまも、会えるわけではないけど、一応いたから。ライバルだった人もいるし、好意を寄せて下さる方もいたから、帰りたいのかもしれない。でも、今は魔王を倒すことだけを考えたいわ。帰るか帰らないか、そもそも帰れるか帰れないか、今考えてもどうしようもないことだもの」
「そうか、考えなしに聞いてしまって悪かった」

 構わないわ、とルナレイアは答えた。今は考えてもどうしようもない、と、逃げていることだから、そういうのはたやすい。

「ルナレイア、元の世界にもどるの?」

 レイがこてん、と首をかしげて聞いた。ルナレイアは苦笑した。

「今は考えないことにしたの。だからまだわからないわ。そういえばレイ、初対面の時はごめんなさい。ひどいことをしたと思っているわ」
「べつにいい。今はルナレイアはもうひとりの自分だと、そう思ってるから。わたしとおなじひと」

 シドはうーんと考え込み、考えるのを諦めた。

「すまないが、もうひとりの自分というのがいまいち理解できない」
「仕方ないことだわ。シドもあちらの世界に行って、自分に会えばわかるわ。会わないとわからないものなの」
「そうか。どうしてもわからないということはわかった」

 ルナレイアとレイは顔を見合わせて、微笑んだ。

「ねえ、シドはどうして副団長になったの?」
「ほかにいなかったから、だな。あの団長に補助としてついていける者が。騎士団に入ったのは家の意向で、とりあえずやっていたらいつの間にか副団長になっていた」

 シドの実家であるレインシール子爵家は、騎士の家系である。騎士として叙勲され、爵位を与えられた。領地は持たないが、親兄弟はみな騎士となっている。そのため、シドも近衛騎士団に入ったのだ。

「それは、実力があるのではなくて?」
「あるかもしれないが、団長には遠く及ばん。陛下もたまに訓練所に来られることはあるが、たまにしか勝てない。ただひとりの護衛対象より弱い騎士など、役には立たんのではないかと、今でも思っている」
「……もし陛下より弱いとしても、あなたは王の近衛騎士なのだから、王の身の周りの人も守るのよ。今はいないけれど、王妃さまだって、王子さまだって。あなたより弱くて、陛下の大切な人たちを、いつかその手で守る日が来るわ」

 ルナレイアに言われて、シドはハッとした。今いる王族は、陛下ただおひとりだけだ。だが、陛下がご成婚されたとき、王妃となる人を守るのは自分になる可能性が高いのだ。

「それも、そうだな。ルナレイア、ありがとう。迷いが晴れた」
「お役に立てて良かったわ。あら? どうしてただひとりの護衛対象なの? 王族は陛下おひとりだけなの?」
「ああ、そうだ。先代の王と王太后が崩御なされたのは、三年前の話だ」

 聞くか? とシドは言った。ルナレイアは気になり、先を促した。

「その日、陛下は普通に政務をこなされていた。謁見や、書類の点検、息抜きに近衛の訓練所に行くなど、普通の一日だった。事が起こったのは、夜のことだ」

 シドはその日を思い出すように、一息ついた。

「毒見もいたんだがな、それでも飯に毒が入っていたんだ。遅効性の。王族はあらゆる毒の耐性をつけていたんだが、他国の新開発された毒らしく、陛下はあっけなく崩御なされた。朝、侍女が起こしに行くと、その頃にはもう冷たくなっていたらしい。王太后は後を追われた」
「まあ……」
「そうして、陛下が即位なされたのだ。17歳という若さで。そういえば、その頃から王妃を決めてくれと周りから言われていたんだが、一向に決める気配がないな」

 普通、王が変わるのは25歳を超えてからだ。順当に行けばフォルカも即位するのはその頃だったのだろう。王となるための帝王学や、いろいろなことを覚えて、実践しながら王位を継承したのだろう。

「王妃はまだ、決めて欲しくないわ。ラナリーが狙っているのだもの」
「魔王を討伐すれば、その報酬としていただけば良いだろう。アレは団長に気に入られているし、伯爵である団長の養子になれば問題はないだろう」
「それならよかったわ。帰ってきたら王妃さまが決まっていた、なんてことが無いように、陛下にはもう少し逃げ回ってもらわないと」

 くすくすと笑うルナレイア。シドも釣られて笑った。

「旅の仲間となるのだから、『アレ』なんて呼び方をしてはダメよ」
「すまない、つい癖でな、気をつける」
「よろしい」

 ルナレイアとシドはまた笑った。

「明日にはもう旅に出るのよね?」
「ああ、その予定だな。朝早くに馬車で王都を出らしい。もう準備は出来ているのだろう?」
「ええ、もちろん。早く魔王を倒して帰ってこないと」
「そうだな。……そろそろ夜も遅い。ご飯はどうする予定なんだ?」

 ルナレイアが窓から外を見ると、もう暗くなっていた。楽しく話をしていると、時間が過ぎるのがはやい。

「ここで取ろうかしら。リサ、お願いしてもいい?」
「かしこまりました」
「じゃあ、私はそろそろ帰ろう。ルナレイア、レイ、また明日な」

 またあした、と返すと、シドは自室に戻っていった。

「レイもここで食べましょう。教会にはもう戻らなくていいけれど、挨拶したい人はいる?」
「いない。そとの世界は思ったより広かった。もう帰りたくない」
「そう。では今日も一緒に寝ましょうね」
「うん」

 レイの態度は、最初に比べればだいぶ柔らかくなっていた。一緒に寝られるくらいには。これも、ラナリーが間に入ってくれたおかげだろう。
 ルナレイアとレイは、食事をしてから就寝した。明日は朝早いのだ。

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